「自分が嫌い」な理由を、自覚している方もいますが、氣が付いていない方も多いように感じます。
「自分は努力している前向きな人間だ」と、自分を評価している人の中には、努力の原動力が「自分ではない何かになりたい」という場合もあります。
これは無自覚ながらも、強力に「自分嫌い」な状態です。
少なくとも、自分で自分を認めない限り好きにはなれません。
ましてや、自分で自分を虐待しているなら、好きになれるはずがありません。
今回は「自分嫌い」の原因にもなる、自分への虐待を「abuse」という言葉で説明していきます。
児童虐待で考える「abuse」の意味
児童虐待の事を、英語ではchild abuse(チャイルド・アビューズ)と言います。
直訳すると、「子どもの乱用(誤用)」となります。
これは的確な表現に感じます。
虐待といえば、怪我をするほど殴ったり、食事を与えずに衰弱させたりなど、極端なイメージになります。なので、自分はそんな事をしていないから虐待はしていない、と思います。
子ども側も、そこまでの事はされていないし、と思います。
abuseだとどうでしょうか?
子どもは、基本的に親が大好きで信頼しています。親なしでは生きていけないとさえ思っています。そんな氣持ちにつけ込んで、愛情を試したり、自分の存在意義を確認するのは、乱用・誤用と言えます。
「お母さんとお父さんのどっちが好き?」
と聞いて困らせたり、
「お母さん(お父さん)が死んじゃったらどうする?」と言って不安がらせたりするのも、それにあたります。
子どもの心のコントロールしたり、間違った自己認識を植え付けたりも含まれます。(これは「毒親」の定義の1つとして言われている事です)
これならば、少なくとも子ども側は、殴られていなくても、自分はchild abuseされていたんだ、と自覚出来ます。
氣持ちの虐待と 「abuse」
自分の氣持ちを、乱用・誤用する事が、自分への虐待です。
解りやすい虐待なら、自分を刃物で傷つけたり、薬を多量に飲んだりとか、そのような病氣もあります。それは非常に苦しい状態です。
自分の氣持ちの乱用・誤用とはどういった状態でしょうか?
本心では望んでいないのに、
我慢強い、優しい、明るい、面白い、といった自分を演じる事が該当します。
我慢強いと、嫌な事をされても怒らなかったり悲しまなかったりします。
理由もなしに我慢するのは、自分の氣持ちのabuseです。自分はこんな事をされてもいい人間だと認めている事になります。
もちろん、むやみやたらと怒れば、人間関係は上手くいきません。
腹が立つような事であっても、自分に非がある時もあります。誤解によるものもあります。よく考えれば納得できる事もあれば、我慢すれば自分の得になる状況もありますし、成長に繋がる事もあり得ます。
理由があって、自分の氣持ちが本当に納得しているなら問題はありません。
ですが納得出来ないなら、転職などでその場から離れたり、そのような目に遭わないような立場を作ったり、氣にならないような器の大きさを持たなければいけません(これらは氣力の強化で実現できます)
せめて、自分はこんな事は嫌なんだと、自分を慰めてストレス解消ぐらいはしなければいけません。
優しい、明るい、面白い、という人間を演じるのも、自分の弱さを隠すための場合があります。だとすると、自分はこんな事はしたくないのに!と、心の奥底では思っています。
そんな、自分をabuseする人を好きにはなれません。
ましてその相手が、自分を最も理解すべき自分自身ならばなおさらです。
自分を虐待しない為には?
自分をabuseしてはいけないとなると、何故か、他人をabuseしなければいけないと思う人がいます。「あなたを大切にしなさい」と言われると、他人を蹴落とさなければいけないと思うようです。
自分を大切にする事と、他人を虐待する事は、決してイコールではありません。
イコールどころか、全然関係のない話です。
この発想には理由があります。
人を大切にするために自分を虐待してきたのだから、自分を大切にするためには、他人を虐待しなければいけないという考えです。
文章として読んでいただければわかると思いますが、これは健全ではない考え方です。
幼少時から、親がいい思いをするためにchild abuseされてきた結果とも言えるでしょう。
このような考え方は、「癖」になっています。そして、負のスパイラルが起きる原因にもなる危険があります。
自分を虐待しないためには
- 自分の心の声を聞く
- 辛い、悲しい、等の氣持ちを押さえ込まず、自己対話してみる
- 他人への怒りに対しても、自己対話してみる
- 何かに努力したい理由が、自己否定からのものでないか確認する
- 自分の欠点を個性と考え、長所として検討してみる
- 自信を付ける
- 氣力を強くする
といった方法があります。
自分の事が好き、今の自分に納得している、という人の中にも、自分が嫌いでそれが分からずに苦しんだりもがいたりしている人は多くいます。
その見分け方のポイントの1つは「他人の良い所をきちんと見れているか」どうかです。
自分を好きな場合、正しく自分の良い所が把握出来ています。自分を正しく認識出来ると、人の事も正しく見れます。
偽った自分を好きな場合は、他人の良い所を正しく見れません。
的外れだったり、表面的な部分しか判断出来ません。もしくは、嫉妬の氣持ちを強く持ってしまいます。
まとめ
嫌いな人が傍に居れば、氣持ちは落ち着かずに、イライラしたり辛い氣持ちになります。自分が嫌いだと、四六時中嫌いな人と一緒に居るという状態になります。これは、非常に苦しい事です。
そして、自分が嫌いでなくなれば、生きるのが本当に本当に楽になります。
今までの苦しさはなんだったんだ!? こんなに楽だなんて信じられない、早くこうなりたかった!と心の底から思えます。
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