人に対して親切にするのは良い事です。ですが当塾ではそれが本当に双方の為になるのかを考えていく事をお勧めしています。
人の為に何かをする=本当にその人の為になる、というわけではありません。それどころか、却ってその人の成長を止め、人生の邪魔をしてしまう事さえあります。
今回は、安易な親切が被害者を生成してしまう可能性について、行動心理学で見ていきます。
オペラント条件付けとは
オペラント条件付け
「スキナーの箱」という名で知られる実験があります。
レバーを押すとエサが出てくる仕掛けをした箱にマウスを入れます。そして、マウスが偶然レバーを押すと、エサが出てきます。
レバーを押す=エサが手に入るという「いい事(=強化子)」があるので、マウスはどんどんレバーを押すようになります。
正の強化刺激
何か行動(オペラント行動=自発的な行動)をすると良い事がある。
お手伝いをするとお小遣いがもらえる、宿題を終わらせるとゲームが出来る等。
行動の出現頻度を高める刺激になります。
負の強化刺激
何か行動をすると悪い事がおきる。
壁にらくがきをすると叱られる、宿題を忘れるとおやつ抜きになる等。
行動の出現頻度が低まる刺激になります。
古典的条件付け(レスポンデント条件付け)
オペラント条件付けと並んで説明されるのが、古典的条件付けです。
「パブロフの犬」と聞くと、ピンとくる人もいると思います。
空腹の犬にエサを見せると唾液を出します。
犬にエサを与える前にベルを鳴らすと、犬はベルの音を聞いただけで唾液を出すようになるという実験があります。
このように、何かの特定の刺激が生理的反応と結び付けられるものを指します。
例えば、お風呂が湧いた時の音楽と同じものを外で聞くと、お風呂に入りたくなるのもこれにあたります。
オペラント条件付けとの違いは、自発的に行動したのではなく、刺激が与えられた結果という事です。
被害者を生成してしまうオペラント条件付けの例
義務を肩代わりする
生きていく上で、やらなければいけない事や、出来るようにならないと困る事があります。
それを肩代わりしてしまうと、その人の人生すら邪魔してしまいます。
出来ないアピールの結果、ご褒美(代わりにやってもらえる)がもらえるので、出来ないままでいるかもしれません。
それが相手の為にならないのはもちろんですが、助けた本人にも課題が降りかかる場合があります。それは、その分の人生を背負わなければいけないという形でやってきます。
なので、困っているから安易に助けるのではなく、その人の人生や課題を邪魔していないのか考えなくてはいけません。
「弱い自分」でいると得をすると教える
ここでいう弱い自分とは、努力すれば(必死に努力すれば)
職場に恵まれない、家庭環境が悪い、充分なお金がない、病氣がち、不幸な自分、
等という状態から脱せられるのに、甘んじてその状態で居続ける事を指します。
病氣がちな人は、もしかしたら生活習慣を改めれば体調が良くなるのかもしれません。
ですが、具合が悪い事をアピールすると、やさしくしてもらえたり、何らかの当番を代わってもらえたりすればどうなるでしょうか?
病氣がちな事にデメリットを感じるどころか、得をすると思うかもしれません。なら、体調が良くなる努力をする必要がなくなります。
好きな物を買うのが我慢出来なかったり、充分に働かない為に、お金が足りなかったとします。
でも、「お金がない」と言えば、奢ってもらえたり、お小遣いがもらえるなら、節約したり、収入を増やすための努力をしようと思わないかもしれません。
意識の上では「健康になりたい」「もっと稼ぎたい」と思っても無意識ではどうでしょうか?
病氣になったらいい事がある、貧乏でいたらご褒美がもらえる、といったオペラント条件付けをされているわけなので、その条件から外れる事が怖くなる可能性があります。
無意識が望むと、その条件を引き寄せてしまいます。
なので、いつまでも弱いままの、被害者意識をもった人を生成してしまうのです。
なぜ親切が仇になる?
自分の為の親切と自覚していない
自分の為の親切といっても、情けは人のためならず(=人に親切にすると巡って自分にも良い事がある)という意味とは違います。
周りからの評価や、承認欲求の為の親切なら、それを自覚しておかないといけません。
そうでないと、無意識に相手が弱者である事を望み続けてしまいます。そうなるとその無意識が相手にも伝わり、助けが必要な状態で居続けないといけないという圧力になってしまいます。
長期的に見て考えない
何か出来ない事があって困っていても、いつかはその人がやらないといけない場合があります。それを代わりにやってあげたのなら、その時は助かっても、長期的には何の役にも立ちません。立たないどころか、又誰かにやってもらえばいいという、依存の方向へ進んでしまうかもしれません。
肩代わりではなくやり方を教えるとか、同じ「助ける」でも長期的に見てその人の為になるようにしなければいけません。
別の条件がある事を伝えない
道理として自分が助けるべきではなくても、やらないといけない場面はあります。
その時に、何故助けるのか、今回だけ手助けするとか、自分にメリットがあるならそれを伝えた方が良いでしょう。
それなら、助けられた理由が「自分が弱者である」という事ではないと伝わります。(しっかり伝えても理解してもらえない場合は、それは相手の問題です)
仇になる親切かどうか、チャクラを使って見分ける
「親切にしたい」「手助けしたい」と思う時に、その行為をやっても良いのかダメなのかは、チャクラを使って見分ける事が出来ます。
第4チャクラを使って魂の声を聞くか
第7チャクラを使って天からの答えを聞きます。
第6チャクラで見ていく事も出来ます。
第4チャクラを使う場合、
「この役割を自分が受け持っても良いのか?」と自分の胸に聞きます。
駄目な場合は、やる事をイメージすると第4チャクラあたりが嫌な感じになります。するべき事だった場合は、しない事を想像すると、辛い感じになります。
嫌だとか辛い方が分かりやすいので、する場合としない場合の両方を想像して、どちらが嫌な感じがするかで見ていきます。
第6チャクラを使う場合は、どちらが良いか、感を働かせます。少し先の未来を予想して判断する事も出来ます。
第7チャクラでは、天に答えを聞いてみて、どちらが良いか知る事が出来ます。瞑想→禅で問う事も出来ます。問う氣持ちが強ければ強いほど答えは降りやすくなります。
まとめ
人への親切を否定しているわけではありません。
ちょっとした親切で物事がスムーズに進みますし、困った時はお互い様で、相互に助け合う事は大切です。命に関わるようなピンチなら、とっさに体が動いてしまう事もあります。
ですが、一見親切な行為でも、相手の事をよく考えないと悪い結果に繋がる場合があります。
当塾でレッスンを受けているのならば、氣力も充分にあるので、人を助ける余裕も出てきます。強大な氣力を何に使っていくか、その使い方を一緒に吟味していきましょう。
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