心の制限を外すための「罪悪感」の考え方

心の話
元氣楽塾の廣瀬 英樹です。

人の心に制限をかけるものの代表として、罪悪感、恐怖感、劣等感があります。

今回の記事では罪悪感について書いていきます。

罪悪感と心の制限

心の制限をかける罪悪感は大きく2つに分かれます。

1つは外から植え付けられたもの。もう1つは自分の意思で持ったものです。

外部からの罪悪感

人は誰かを思い通りに動かしたい、コントロールしたいと思う時に、外部から心への制限をかけます。

罪悪感は、心へ制限をかけます。

毒親が子供へやっているのがそれです。

いう事を聞かないなら、悪い子だという罪悪感や、愛情をもらえない恐怖心が子供の心に制限をかけ、大人になってもそれが離れずに辛い思いをします。

人は原因と結果をひっくり返して認識する場合が多いものです。

毒親等の、自分の心に制限をかける人間がいなくなっても、別に制限をかける人を探し求めます。独立しても、結婚した配偶者が毒親のような人だったというのはよくある話です。

その場合、配偶者を選ぶ目が悪いから辛い目に会っているのではなく、無意識で辛い目に会う事を求めているので、毒親のような人を選んでいます。

健全な考えならば、何故そのような辛い道を進むのだと思うかもしれません。

ですが、ずっとコントロールされ辛い目にあっていると、それが自然な状態になります。

人は恒常性維持機能という、環境の変化を嫌う性質を持っています。

なので自由で幸せな状態に違和感を感じ、幸せになってはいけない、幸せになったらさらに不幸がやってくるかもしれないという不安さえ持ってしまいます。

脳がそのような働きをしてしまうようになっているので、いつまでもその状態から脱せられません。

内部からの罪悪感

これは意外にも、自分が優れていると思いたいが為に起こります

自分は頭が良いのだから氣取ってはいけない、優れているから低姿勢でいなければいけない等。

この職場は自分がいなければ皆が困るから辞められない、このサークルは自分で成り立っているから全ての回に出席しなければいけない、という罪悪感を自ら持ってしまいます。

これは、事実が正解か間違いかという事よりも、これが心の制限になっているのが問題です。1人が辞めれば困るような職場ならば、職場のシステムの問題です。自分で成り立っているサークルなら、自分の代わりになるような人を育成すれば良いのです。

これが、地獄のミサワのように「つれーわ、必要とされすぎてつれーわ」という愚痴になる危険さえ含んでいます。

これも、原因と結果をひっくり返している事が原因です。自分が必要とされているのか不確かなので、罪悪感を持つ事で自分が必要な存在と自覚しようとしていると言えます。

随分酷い発言と思われるでしょうが、こう考えると責任感で制限をかける事が防げます。

とある特撮系の映画で「大いなる力には大いなる責任が伴う」という有名なセリフがあります。これは結構曲者な考えに思います。その制限を自分にかけろという押し付けです。

大いなる力に責任を伴って行動されれば、依存と不安を与えます。正義の味方が悪を倒し平和を守るシステムでは、正義の味方に依存しきってしまいますし、万が一悪の側に加担すればどうなるのかという不安を生じさせます。

そうならない為に、「責任」という言葉で縛っているに過ぎないからです。

ですが、責任とは、何かが起きた時にそれに対して応答、対応する義務の事です。なので大いなる力を持つ人は常に連絡可能な状態にしておけば良いのかもしれません。

徳の上昇と罪悪感

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上の記事にも書いたように、徳の高い状態で徳の低い場に居れば、罪悪感で制限をかけられます。

他の人にはそのような事はしないのに、徳の高い人にだけ色んな事を押し付けてきます。他の人に言っても無理なのは分かるだろうとか、期待してたのにとか、情に訴えてきます。

これに負けて、自分で罪悪感を生むようになれば、相手からすればしめたものです。

このような場所は、ある程度勤めてカルマを解消したら、さっさと自分の徳に適した場所に移動するのが一番です。

まとめ

罪も許しも、結局は自分が作りだしているものです。

自分さえ許せば、人が許さなくても関係ないからです。

そして、自分を許せば人を許せます。逆に、人を許す事で自分を許せるようになる事もあります。

許せないならそれでもいいと思います。許せない事が許せない、なんてただ苦しいだけです。

 

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器量が大きくなれば、氣にならなくなる事が増えるので、単純に楽になります。大きくする事で、毒親の呪縛から抜ける事さえもあり得ます。

自分の罪にからも人の罪にからも縛られたくない人は、器量についても取り組んでみてください。

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