キレイな心になりたい、と望む人は多くいらっしゃいます。
ですが、キレイになれない落とし穴にはまってしまい、いつまでも自分への嫌悪感を持ち続けてしまう場合が多いものです。
今回の記事では、心がキレイとはどういう事なのか、どうすればそこへ向かっていけるのかを書いていきます。
心がキレイにないたい人がハマる落とし穴
心をコントロールしようとする
自分の理想の心になろうと、無理に心をコントロールしてしまう場合があります。こう思ってはいけない、こう感じないとダメだ、等です。
無理にそう思っても本心ではありません。何故ならば、心はコントロール出来ないしくみになっているからです。
コントロールする事で、不安が起きたり、自分への不信感が募るので、キレイとは縁遠い感情が積み重なっていきます。
自分の全てを認められない
本人が「嫌だ」と思っている部分を認められないと、それを抑圧します。
心は、無意識を把握し、深く潜れるほどにキレイになります。なので、抑圧や否定をしたりするとキレイからは遠のいていきます。
抑圧して理想の自分を演じたとしても、周囲には伝わります。
そしてそれは、キレイな心ではなく「キレイと認めて欲しい心」に過ぎません。キレイな心とはある意味真逆の状態です。
心がキレイとは?
まず、自分自身をしっかり分かっている状態です。
自分の心の要素に、キレイも汚いも、良いも悪いもないはずです。都合が良いか悪いかくらいなものです。
心が汚いのは、実際に汚いのではなく、心の奥底で自分の心は汚いと思っているのが原因です。それは氣が付いていてもいなくてもです。
なので心がキレイなのは、自分の内面に対し嘘偽りなく許可をしている状態、ただそれだけです。
裏表がなくてはっきり物をいうタイプとの違い
裏表がないから、ハッキリしているタイプだから、という名目で人にキツイ事ばかりをいう人は心がキレイなのか?と思われるかもしれまぜんが、それは違います。
人に対して指摘ばかりする人は、自分に自信がないか、自分のシャドウを人に見ている場合が非常に多いです。なので、本心では自分にOKを出していません。
自分の嘘偽りない内面にOKを出している人は、他人に対しても同じようにOKを出します。なので、嘘やごまかしで生じている歪に対して何かを言っても、常にキツイ事を言うような事はありません。
心をキレイにする方法
自惚れるのをやめてみる
自分はこれがダメだ、あれがダメだと思っているのは、自分に対して自惚れているのと同じ状態です。
なぜそう言えるかというと、心なんてそんなに完璧に出来ないものなのに、自分はそうならないと駄目だと思っているからです。
好きでそう思っているわけではない、焦っているわけではない、と思われるかもしれません。
ですが、こうならなきゃ駄目だ、と思った時に「自分はなんて自惚れているんだ」と思えば、その焦りがおかしなものだと理解しやすいはずです。
今までに良いなと思ったり憧れたりした人を思い返してみてください。その人はすべて非の打ちどころのない完璧な人だったでしょうか? その人の足りない部分や、闇の部分をむしろ好きだったりした事はありませんか?
それをそのまま自分に当てはめて考えてみてもいいかもしれません。
自分へのとらえ方を変えてみる
頑固な人が、それを認められずに素直と信じ込み、無理に低姿勢でいる場合があります。ですが見方を変えれば、それは頑固なのではなく、何かを成し遂げられる「こだわり」の力になるかもしれません。
怒りっぽい人が、自分はおっとりしていると信じ込み怒りを無理に抑えている場合があったとします。ですがそれは、怒りっぽいのではなく意思が強く目標に進んでいける心なのかもしれません。
心は簡単には変えられませんが、自分の心へのとらえ方は変えられます。変わらないのなら、良いように捉えて長所として活かした方が得ですよね。
器量を大きくする
自分の無意識に潜りこんでも、器量が小さいと受け取りが大変です。良いものでもそうでない物でも、深い無意識から多くを受け取るのには、器量の大きさが必要です。
自分が深く無意識に潜れた分、他の人の物にも潜ってしまうので、それにもやはり器量が要ります。
瞑想をする
瞑想をすれば、心が安定して落ち着きキレイな状態に近づきます。
それとは別の効果もあります。
人間の無意識のさらに底には、集合的無意識という他の人とも繋がった共通した部分があります。
集合的無意識には、怒り、悲しみ、無力感もあります。
自分の中にそれに近いものを持っていると、繋がって共鳴し、どんどん大きくなります。自分のものでないのに、その嫌な感覚を、自分の物のように感じてしまいますし、癒しても湧き出てきます。
酷く辛かったり、怒りが治まらない時は、大抵そのような集合的無意識と繋がっています。そこまで激しいものでなくても、日常的に繋がっている場合も少なくありません。
深い瞑想(雑念が湧かないレベルのしっかりとした瞑想です)をすると、自分の心とその集合的無意識との繫がりが一旦は切れます。
なので、瞑想の後に、その消えた感覚をしっかり覚えておいてください。何度も何度も体験して覚えると、繋がっても、これは自分のものではない無力感。苦しみ、怒りなんだと解ってきます。
そのような繋がりがなくなると、心も楽になり、キレイになっていきます。
まとめ
シェークスピアのマクベスのセリフで「キレイは汚い 汚いはキレイ」というものがあります。
実際に使われている意味とは違いますが、心がキレイになりたくて、もがいている人に当てはまる言葉だとも感じています。
自分の心を責めるのをやめるだけで、随分とキレイになります。そして、余分なエネルギーをそこに使わない分、元氣で楽になれます。
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