理想の対義語は現実、とされています。
思考は言葉に引きずられてしまうので、その捉え方では、理想と現実は一致しない事が前提になってしまいます。
今回の記事では、私たち元氣楽塾の理想、現実の解釈を書いていきます。
対義語とは?
同一言語の中で、意味が正反対の関係にある語。一方を否定すれば必ず他方になる関係の「男⇔女」「生⇔死」などの場合、程度の差を表す「大きい⇔小さい」「遠い⇔近い」「よい⇔悪い」などの場合、一つの事柄を見方や立場をかえて表現する「売る⇔買う」「教える⇔習う」などの場合がある。アントニム。反意語。反義語。反対語。
ある言葉の反対の意味になるものです。なので対義語となるものは同時に成り立たない事が前提になります。
言葉そのものは違っても、同じ意味になる言葉は同義語といいます。
例:寝る→就寝 手紙→書状 等
理想の対義語は「妥協」
理想の対義語は現実だと言われています。
ですが私たち元氣楽塾は、理想と現実は同時に持てるものと考えています。
理想を納得いくまで追求する事もそうです。現実的に時間や予算を制限された中で、その中での理想を求める事も出来ます。
何かを成し遂げるのに理想の時間配分があって(例えば週に1回何かの作品を作る等)それにどれだけ高い完成度を持たせるかというパターンもあります。
このように、理想の求め方にも色々な手段や考え方があります。
ですが、何か理想に向かって努力や行動をしている人に対し、「いい加減現実を見ろ」「現実的に考えろ」と言われる場合があります。
その場合、体よく「妥協しろ」と言われているのかもしれません。
努力している人に対し、「いい加減諦めたら?」「適当に済ませてしまえば?」「そこまでやらなくてもいい」と言えば、言った側が悪者になる場合があります。
ですが「現実を見ろ」ならば、言った方が正しく思われたり、間違った事への助言とも受け取られる可能性が高くなります。
言われた側はどうでしょうか?
理想の対義語として「現実」を持ち出された場合、理想が悪い事のように思えたり、求めてはいけないもののようにさえ思えてきます。
繰り返しますが、人は言葉によって思考に影響を受けます。
現実の対義語は理想ではないという考え方を知っていただいて、何かを罪悪感なく探求していただけたらと思います。
現実の対義語は?
現実の対義語が「理想」でないならば、何になるでしょうか?
空想、仮想、虚実も現実の対義語とされています。
現実の対義語は「非現実」だと思われますが、「現実に非ず(あらず)」が対義語というのはルール違反と思われますので、別の言葉を探してみます。
実際に何もせず、立派な理屈だけを述べている人が現実の対義語を理想と解釈していると「現実を見ろ」と言われても「理想を否定する小さな人間」という評価を下せます。
現実に立ち向かわずに逃げている状態なので、この場合の対義語は「逃避」と考えられます。
そして、しっかりと(言い換えれば現実的に)理想に向かって努力している人に対し、「現実を見ろ」というのは、「あなたは現実から逃げている」という印象を与えようとしていると考えられます。
罪についての考え方
相手に迷惑をかけていない事が前提となりますが、理想を目指して努力している人に対し「現実を見ろ」と咎めるのは、その人の罪悪感にうったえています。
現実という言葉を「良い物」として見せる事で、その反対の「理想」を求めるのは悪い事だという印象を与えようとしています。
罪には大きく2パターンあって、
- 外部から何らかの罰を与えられ認識するもの
- 自分から認識するもの
に分けて考えられます。
実際にその事が道徳や法律上の罪なのかそうでないかは関係なく、本人の認識です。
相手をコントロールしたり自分の思い通りに動かしたい場合、罪悪感にうったえる事で、罪でもない事を「自分から認識する罪」にすりかえようとしてきます。
毒親も、そのようにして楽に子供をコントロールしようとします。
自分がやりたい事なのに制限をかけられてしまう、悪い事のように感じさせられてしまうと思った時は、問題意識の核に「対義語」を持ち込まれているのではないかと一度考えてみてください。
まとめ
理想と現実から、心のコントロールまで話が飛躍してしまった事を不思議に思われる方もおられると思います。
心をコントロールしたいが為に心に「首輪」「くびき」をかけられ、辛い思いをしている人を多く見てきました。首輪をはめられている事にさえ氣が付かず、どうして自分はこんなに苦しいのか分からず解決策も見つからないような状態です。
それがこのような、「理想」と「現実」の意味のすり替えによっても行われているのを知っているので今回のような記事になりました。
人に何かを言われると氣になってしまい辛い、問題解決の糸口が見つからない、とにかく抜け出せる元氣がほしいと思われる方は、是非当塾にご相談ください。
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