自我が強い等。自我という言葉を耳にする機会はよくあります。
なんとなくイメージも出来るものの、「自我とは何か?」と聞かれると答えに詰まったりもします。
今回の記事は、そんな自我について書いていきます。
心理学での自我とは?
原我・自我・超自我の中の「自我」
オーストリアの精神医学者ジークムント・フロイトは、人間の心を3つの構造に分けています。
原我(イド/エス):本能や欲求等、人間の自由氣ままにしたい部分
自我(エゴ):原我と超自我を調整する部分。自己である強い認識
超自我;道徳的で正しい理想を追い求める部分
例えば朝起きて、体調が少し悪かったとします。ですが午後から大切な打ち合わせがありました。
そこで
- 原我:今日はとにかく寝ていたい、仕事に行きたくない
- 超自我:仕事に行けない程体調が悪いわけではない。今日は大事な仕事があるから休んではいけない
と、2つの考えが葛藤します。
それをまとめるのが自我の役割です。
職場に遅刻する旨を連絡して午後から出勤しよう等、両方をとって丁度良い意見を考えます。
自我と自己の違い
人間の心のうち、意識出来る部分は10%、意識出来ない無意識の部分は90%と言われています。
意識出来る自分自身が自我、
意識出来ない部分も合わせた自分自身が自己です。
又、自分が考える自分自身を自我(自分視点の自分定義)
自分と他人を通しての自分自身を自己(他人から見た自分らしさ)とも説明されています。
自我実現と自己実現
自分の意識の範囲内で、自分のやりたい事に取り組んだり、なりたい自分になる事が自我実現です。どうなるかを改めて自分で決めて、それを目指していくものです。
自己実現は、集合的無意識をも含めた無意識を含めて、望みを叶えていくものです。集合的無意識には、世界の流れだったり天の意思も含みます。宿命を知る事もそうです。
なので自己実現は神秘体験を伴いますし、見えない意思に応援されている実感もあります。
自我肥大とは?
スイスの心理学者カール・グスタフ・ユングの定義では、自我と宇宙が同一になったような一体感を覚える事による、異常な自己陶酔的と優越感を伴う心理状態を指します。
「私は宇宙の中心だ、否、私こそが宇宙だ」といった感じでしょうか。
一般的に使われる「自我」
自分にとっての自我は、自分が消したいのに消せない部分を指します。心に制限をかけている部分、真実を認めるのを邪魔している部分になります。
他の人からは、自己中心的に思える要素が、自我と呼ばれます。
超自我の部分
自己否定してまでも理想を追い求める超自我の部分が、いわゆる自我になります。
超自我を叶えたい=自分ではない立派な何者かになりたい=自己承認欲求(欠乏欲求)=自己中心的な考え
という原理だからです。
執着
何か執着したものがある時、それを否定されるような事を言われると動揺します。
その動揺をごまかすために、感情を肥大させていきます。怒る、泣く、等です。
感情が大きくなるほどに、もっと大きいざわつきを求めていきます。自分を感情に支配させる事に快楽を覚え、繰り返していくようになります。
このような執着はいわゆる自我になります。
思考・雑念
何かに集中したいのに、思考や雑念に捕らわれてそれが出来ない時に、それらを自我と呼ぶ事があります。
瞑想は、自我とどのように付き合うか、どう捉えるかといった事が課題とも言われています。
トラウマ
過去の辛い思いが、何かの行動の制限をかける事があります。通常なら平氣な事が苦しかったり辛かったりします。
自覚のないトラウマならば、どうして自分はこの事に拘っているのか分からず、自我が邪魔しているように感じます。
「氣が強い」状態
「氣が強い」と、積極的で活発で元氣な反面、怒りっぽかったり攻撃的だったりします。氣のエネルギーを自分の元に留めておけないために、発散する方向性で使っているのが、こうなってしまう理由です。
氣力が強いのとは違い、わがままで自己中心的になりがちです。
選民意識
自分は選ばれた特別な人間だ、と思っているような人の持つ意識です。そしてこれは、自己肯定感や自信とは真逆の、不安や欠乏感からくるものです。
自分は正しく他人は間違っているという考えの元で言動がされますので、自己中心の極みの状態になります。
まとめ
自我はエゴとも言われ、悪い意味で使われる事がほとんどです、
エゴイスト(他人の不利益を省みず、自分の利益だけを求めて行動する人)を思い浮かべてしまうからかもしれません。
正しい自我は、原我と超自我のバランスをとってくれます。白黒の二極の思考に陥る事を防いでくれます。
自我が確立していると人生が楽になりますので、悪いものと考えずにじっくり向き合ってみてください。
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